四方山話覚書き

連鎖する意識

チョココインをあと30枚ばかり集めるべく日課にしている、今さらも今さらなチョコボの宝探し。正直今頃こんなのやってる人いるんでしょうか。

チョコボの宝探しでは、無事に宝箱を掘り当てることができればその都度コイン1枚(正しくは引換券)をゲットできます。
昔はチョコボレースもやっていた記憶がうっすらあるのですが、どうやってたのかはもうさっぱりワカラナイ。コインあと30枚程度なら、レース用のチョコボを新たに育て直したりアレコレ調べる手間よりは、まだ宝探しでコツコツ集めた方が早そうではある。
というわけで、地道に宝探しをしています。
ちなみにこれも昔取った杵柄というやつで、復帰してからの宝探しは今のところ百発百中。やる前までは探し方覚えてるかなぁと不安だったんですが、やってみると案外覚えてるものですね。

それはさておき、マウントでたくさんの生き物や乗り物?に乗れるようになりましたが、乗ってて一番しっくり来るのはやっぱりMyチョコボです。雛のうちから大事に育て、長い間「チョコ掘り金策」という苦楽を共にして来た子ともなれば、愛着もひとしお。
今はもうチョコボホイッスルもなくなり、騎乗の回数制限も時間制限もなくなりました。便利になったもんだ。これも外見固定コマンドと並んで、地味にうれしいことのひとつです。

 

ヤグードのたまり場、獣人拠点ギデアス
「バルガの舞台」近くのホームポイントをそういえば開通させてない気がする、と今頃思い立ち、散歩ついでに来てみました。
簡単な日課をやりつつ、他に何をしているのかというと、たいていこんな感じで適当に散歩をしています。

ガチ数年振りのギデアスに「バルガの舞台てどうやって行くんだっけ…?」となりましたが、歩き出してみればこれも案外覚えているもので。
入ったら右手の方を進んで、洞窟に入ったら左にいって落とし穴に落ちて…と、うろ覚えながらもすんなり辿り着くことができました。

昔はモンスターシグナのために誰かしらが常に張り込んでいたギデアスも、今はもうガランとして、プレイヤーの姿はありません。ヤグや蜂が好きにうろうろしています。オンラインゆえに、プレイヤーが誰もいなくてもヤグたちはこうしてずっとここにいるのだと思うと、少し不思議な気分になります。

 

今こうしてヴァナを歩いていてつくづく「すごいな」と思うのは、「どのエリアに行っても必ず何かしらの思い出がある」ということ。
この覚書きサイトでは、もともとは昔のことを順序立てて書いていこうかと思っていたけれど、それはそれでカッタルイ。場所ごとの思い出話なんかを思い付くままつらつらと書いていくというのでも、まあ悪くない気がする。

「ギデアスの思い出は?」といわれたら、ウィンダスの近くという立地もあって、それこそモンスターシグナをはじめいくつも思い付くけれど、まずは「カザムパスのための鍵集め」だろうか。
今でこそダンジョンの鍵はモグから買うことが出来るけれど、当時はドロップするまでひたすらモンスターを倒すしか入手手段がなかった。
カザムパスを手に入れるためには、大金を払うか、もしくは「三国の近くにそれぞれ存在する獣人拠点それぞれで拾える鍵を集める」必要があり、ほとんどの冒険者は貧乏だったので鍵集めに奔走した。

カザムパスのための鍵集めの厄介なところは、パスがほしくなるレベルくらいだと、そもそも鍵を落とすモンスターを倒すことも難しい、ということ。獣人拠点なだけあってモンスターが密集しているし、感知されたらリンクも頻発する。低レベルの冒険者なら、それだけであっという間にお陀仏です。

なので、鍵がほしいプレイヤー同士で集まって狩りにいくとか、高レベル冒険者に助けてもらうとか、そんな風景が当時は当たり前だった。この「助け合いもしくは高レベルに助けてもらう」スタイルは、それこそ「ソロではたやすく限界が来るFF11」を遊んでいくには、何をするにもほぼ必須な仕様でした。

私自身のファーストキャラでのカザムパス取りは、当時知り合って間も無かった、とある先達冒険者に助けてもらいました。
そのひとは、バスの鋼鉄装備一式が似合う、とても頼もしい戦士さんでした。この戦士さんとは親しく交流させてもらい、他にもいろいろと思い出があるのだけれど、そのひとつがギデアスをはじめとする3つの獣人拠点でのカザムパス取りです。

当時私は初心者ばかりを集めた「初心者LS」のリーダーをやっていて、この戦士さんは、そのメンバー全員のパス取りにつきあってくれました。鍵のドロップ率はあまり高くない上に、なにしろ3箇所の鍵を集めないといけない。リアル何日もかけて、今日はあそこの鍵を取ろう、あそこの鍵は誰々が持ってないから取りにいこう、という具合に、何度も鍵集めに通うことになりました。

鍵集めの場所は、他にはサンド近くのユグホトの岩屋、バスのパルブロ鉱山がある。なのだけれど、なぜか私には、このギデアスでの鍵集めの印象がいちばん強い。自分のパス取りではなく、その後何度も何度も他のプレイヤーのパス取りのために通った場所だからかもしれない。
鍵を落とすモンスターはライバルがいることも多くて、皆で駆け回って湧き待ちをした。カザムパスが必要になるのはレベル20を過ぎた頃からだから、本当に序盤の思い出だ。

ファーストキャラのときは先輩冒険者に助けられ、セカンドキャラ、つまり今のキャラのときは、まず自力で鍵を集めてパスを取得した。その後に、かつてあの戦士さんがそうしてくれたように、LSメンバーみんなの鍵とりを手伝った。
それはセカンドキャラでもLSリーダーをやっていたことと、少しはガチ初心者よりも勝手が分かっていたからではある。
でも何より先に立っていたのは、「今度は自分が助ける側にまわる番だ」という漠然とした思いだった。

右も左もまったく分からなかったファーストキャラでは特に、ことあるごとに先達冒険者たちに助けられた。
MMORPGとしてデザインされたFF11は、あらゆることにおいてソロプレイではなくPTプレイ、複数人数による協力プレイでの攻略が前提となっており、ときにははるか先をいく先達者の力を借りることも必要だった。当時のFF11は、それほどシビアで容赦のない世界だった。

助けてもらってもただお礼を言うことしかできない私に、あるときある冒険者が「今度はあなたが誰かを助けてあげてね」と言った。そのことを、今も鮮明に覚えている。
あの言葉と、それからあの戦士さんに何度も助けられたことが、知らず知らずのうちに私のその後のヴァナライフにおける大きな指標になったのだと思う。

 

この「助けられるようになったときに、誰かを助ける」という連鎖が、あの頃のヴァナには当然のように存在していて、それがあの大きな世界に集う「冒険者」という名のプレイヤー達をつないでいた。
きれいごとではなく、「ひとりでは到底やっていけないシビアな世界」だからこその、それは必然的な帰結ではあるのかもしれない。それから今ほどネットとリアルの距離が近くない、むしろ「リアルとネットは完全に隔てられたもの」という意識が主流で、「ガチのロールプレイが出来る世界」だったからこそ、「リアルではちょっと気恥ずかしいような善意の行使」を、ためらうことなく実行しやすかった。

とはいえ当然だけれど、プレイヤーの誰もがそんなふうに思っていたわけではない。
けれどあの歴然と存在していた「助けを求めている人を当然のように助ける」という全盛期のヴァナの風潮、意識の連鎖は、掛け値無しに素敵な連鎖であったと思う。

 

今のオンラインゲームでは、もう当時のMMORPGでは可能だった「ガチのロールプレイ」は不可能だろう。とくに当時のFF11は、PS2でプレイできたこともあり、ネトゲはおろかネット上でのコミュニケーションすら初心者であるプレイヤーがとても多かった。かくいう私自身もそうであり、今ほどネット上での情報収集もさかんではなく、むしろヴァナの中で出逢う他のプレイヤー達から教わったり、情報を得ることが、とても多かった。

誰もが無邪気になりきりプレイを楽しめる、とても純粋な「MMORPG」の全盛期。あの時期あの場所にしか存在していなかった「あの世界」を遊ぶことができたことを、私はとても幸運に思う。