四方山話覚書き

忍者的三種の神器

Lv75キャップ時代の、レベリング中の忍者装備。
コレを見ると「あーそうそう、こんなんだったわぁ」となる人は少なくないはず。

「柔術着」「落人/母衣武者の小手」「風魔の脚絆」
この3つの装備は、装備レベルの忍者なら装備していて当たり前、というくらいに当時の忍者を象徴する装備です。

今はあっという間にレベルなんてソロで1から99になれてしまうし、まさしく一瞬で過ぎるレベル帯のためにこんな装備を身につけることもないでしょう。

Lv75キャップ時代は、たった1つレベルを上げるだけでも、とても時間がかかりました。
まず、組みたいときにレベリングPTを組めるとは限らない。当時は6名フルPT、しかも前衛後衛のバランスを整えた上でなければ到底狩りにならず、狩る獲物によっては必須ジョブもありました。そして慢性的に後衛が不足しており、まずtellで後衛を確保してからPTを組み始めるのがセオリーで、必要ジョブが足りなければPTは諦めなければいけませんでした。
PTを組むことだけでなく、狩り場への移動にも大きく時間を割かれる時代でしたから、1回のPTに3~4時間は軽く要しました。移動中にメンバーが迷ってはぐれてしまう、敵にからまれて死んでしまう、ということも珍しくなく、そうなると立て直すまでにさらに時間を食いました。それだけの手間暇をかけて、上がるレベルはだいたい1つ、効率がよければ2つ程度。効率の悪いPTやタチの悪いPTに当たってしまうと全然稼げなかったり、レベルが上がるどころか下がってしまうことすらありました。

そんな環境でしたから、当時はレベルが上がる速度はとてもゆるやかでした。ゆえにそのレベルごとに適した装備を用意するのが常で、必然的にひとつの装備を長い期間身につけていました。
性能的にオンリーワンだったり、末長く使える性能の良い装備は人気があり、かつ「入手経路が限られている装備」は高額品でした。上記の3つは、まさにその典型でした。
また上の3つ以外にも、高額かつ高性能な「前衛垂涎の装備」がいくつかあり、「皇帝羽虫の髪飾り」「クジャクの護符」はとくに人気がありました。

忍者はLv37で「忍者の代名詞」ともいえる「空蝉の術:弐」を習得し、いよいよ1枚盾として立ち回れるようになります。
「盾」というのはPTの要であり、出来る限り良い装備で固めているにこしたことはありません。まして忍者は、性能を遺憾なく発揮しようとすると、装備やら忍具やら忍術やらでとにかくお金のかかるジョブでした。
Lv40で一気に習得する「遁術:弐」は、ガン回しすることでこのレベル帯においては強力な火力となり、「忍者がいちばん強いレベル帯」とすら言われました。が、この遁術回しにも当然忍具を大量に消費します。
これらの「一気にお金がかかるようになる時期」がちょうどサポレベルを過ぎた頃に集中しており、これ以降も忍具の消費は続くことから、忍者は狩人と並んで「銭投げジョブ」といわれていました。

 

そんな当時のお話。
先の記事に書いたよう、ふとした気まぐれで始めた忍者に、私はすっかりハマってしまっていました。忍者をやるのがあまりに楽しくて、気が付いたらどんどんレベルが上がっていました。
サポレベルあたりまでならそこまでお金もかからないのですが、そこから先に進もうとすると、上記の通りとにかくお金が必要になります。忍者やるなら持っておけ、という装備がどれも高額品ばかりだし、1枚盾を張るようになると、忍具も大量に消費するようになります。

サポレベルに近付く頃には、ただ楽しくて始めただけの私にも、忍者というジョブを続けていくにはどうしてもたくさんのお金が必要になることが理解できていました。またこれは完全に性分によるものなのですが、「好きなジョブだからこそ、装備にも立ち回りにも手を抜きたくない」という気持ちが強くなっていました。

ですが、もともと上げていた赤魔道士ですら、まだLv50になるかならないかくらいです。お金なんてそんなに持っているわけもありません。
私は悩んだ末に、「必要な装備とお金が準備できるまで、レベル上げは一切止めて金策をする」と決めました。

そこから始まったのは、これも当時を知っている人ならあるなるな金策、グスゲン鉱山に籠もっての採掘です。
来る日も来る日も、ひたすら暗いグスゲンに籠もって炭鉱夫を続ける日々。一方で、金策のために栽培チョコボ堀りも始めました。
そして忍具を自給自足するために様々な合成スキルを上げ始め、紙兵を効率よく生産するために木工職人となるべく、バストゥークから木工ギルドのあるサンドリアに移籍。ゲルスバで木こりをして紙兵の原材料であるエルム原木を切り出したりもしていました。

Lv75時代は後衛装備として属性杖の人気が高く、とくにこの頃の属性杖はまだまだ高価な代物だったので、副産物的にそちらでも金策が出来るようになりました。フレに頼まれて銘入りの属性杖を作ったことも多く、たまにHQが発生したりもして、嬉しくおいしい思いをさせてもらったものです。

ちなみにこの黒いホビーチョコボは、黒チョコボが生まれたときに嬉しくて作ったものです。
木工にはあまり役に立つ装備やアイテムを作れるレシピがなく、それこそ金策になるのは属性杖と紙兵くらいでした。そのかわり作れる家具が多く、木工職人=家具職人でもありました。
木工職人になったのはあくまで紙兵のためでしたが、当時はモグハウスのレイアウトにも凝っていたので、趣味と実益を兼ねた木工スキルには本当にお世話になりました。

話は戻って。
当時あまりにも各種金策とグスゲン籠もりが続いていたため、あるフレが次第に私を心配するようになりました。
忍者を始める以前、赤魔をやっていたときに彼からPTに誘われ、そこで意気投合してフレになったのが最初。明るく楽しい人柄で、リーダー気質でけっこう気が強い彼は、冒険者としてかなり先輩で、出会った時点で既にいくつものジョブをやっていました。経験豊富でどのジョブをやっても巧く機転が利く彼は、最初のPT以降も度々私を誘ってくれ、赤魔としての立ち回りを教えてくれた人でもありました。

とにかくひたすら金策の日々で、数ヶ月に渡りグスゲンに籠もって忍者どころか赤魔道士のレベリングも止めてしまっていた私を、彼は外に引っ張り出しました。
「赤魔のレベルが上がればもっと金策もしやすくなるから、とにかくまずは赤魔を上げよう」
そう言って彼は私を説得しましたが、レベルが上がれば云々はぶっちゃけ私を外に連れ出す口実だったのではないか、と今でも思います。NM狩り等を金策にはしていなかったから、レベルを上げたところで金策手段はそう変わらないし、後に彼が「あのまま放っておいたら、嫌になってFFをやめちゃうんじゃないかと思った」と言っていたのを覚えています。

このとき彼に強引に外に連れ出され、赤魔で久し振りに組んだPTは、とても楽しいものでした。
実際金策ばかりの日々は、正直いって気分の盛り上がるものではありませんでした。
赤魔道士もまた、忍者と同じくらいに思い入れのあるジョブであることを思い出した私は、自分に架したルールを緩めることにしました。ゆっくりとですが、赤魔道士のレベリングを再開。当面の目標は、AFレベル、つまりLv60まで。金策は続けるけれど、あまり無理はしないことにしました。

赤魔でのお話はまた別の機会にするとして。
地道に金策を続けた甲斐あって、ついに私は「柔術着」「母衣武者の小手」「風魔の脚絆」、それに「皇帝羽虫の髪飾り」と「クジャクの護符」まで揃えることが出来ました。装備と忍具の準備が万端になったところで、いよいよ満を持して忍者を再開しました。
長いこと止めていたレベルが上がって、憧れていた三種の神器をようやく身につけることができたときの高揚感は、今でも忘れがたい思い出です。

 

忍者という金食いジョブをメインジョブにしてしまったため、この後も金策と縁の切れないヴァナライフを送っていくことになるのですが、それも含めて「忍者をやってて本当に楽しかった」と今でも思います。お金や装備云々の話だけではなく、忍者をやっていたからこそ出来たフレンドもいるし、あれこれの楽しい出来事もたくさんありました。大変だったけれど、それらの苦労も全てリターンして余るほど、忍者というジョブには楽しい思い出が詰まっています。

もし忍者をやっていなかったら、私はどんなふうにヴァナで過ごしていたんだろう。正直、ちょっと想像がつきません。